万引家族
カンヌ国際映画祭パルムドールという最高の栄誉を獲得した是枝裕和監督の作品は、これまで幾多の家族を描き続けてきましたが、今までと違うのは、犯罪でしか繋がれなかった家族の姿を描きます。
人と人との繋がりが希薄になった現代に、真のつながりとはなにかを考えさせられる衝撃と感動の作品です。
万引家族あらすじ
街角のスーパーで、鮮やかな連係プレーで万引きをする、父の治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)。
肉屋でコロッケを買い寒さに震えながら家路につくと、団地の1階の廊下で小さな女の子(佐々木みゆ)が凍えている。
母親に部屋から閉め出されたらしいのを以前にも見かけていた治は、高級マンションの谷間にポツンと取り残された平屋にその女の子を連れて帰る。
母の初枝(樹木希林)の家で、妻の信代(安藤サクラ)、彼女の妹の亜紀(松岡茉優)も一緒に暮らしている。
信代は「もう少し金の匂いするもん拾ってきなよ」とボヤきながらも、温かいうどんを出してやり名前を聞く。
「ゆり」と答える女の子の腕のやけどに気づいた初枝がシャツをめくると、お腹にもたくさんの傷とあざがあった。
深夜、治と信代がゆりをおんぶして団地に返しに行くが、ゆりの両親が罵り合う声が外まで聞こえる。
信代には、「産みたくて産んだわけじゃない」とわめく母親の元に、ゆりを残して帰ることはできなかった。
翌日、治は日雇いの工事現場へ、信代はクリーニング店へ出勤する。
学校に通っていない祥太も、ゆりを連れて“仕事”に出掛ける。
駄菓子屋の“やまとや”で、店主(柄本明)の目を盗んで万引きするのだ。
一方、初枝は亜紀を連れて、月に一度の年金を下しにいく。
家族の皆があてにしている大事な“定収入”だ。
亜紀はマジックミラー越しに客と接するJK見学店で働き、“4番さん(池松壮亮)”と名づけた常連客に自身と共鳴するものを感じ、交流が始まる。
春の訪れと共に、「荒川区で5歳の女の子が行方不明」というニュースが流れる。
両親は2ヶ月以上も「親戚の家に預けた」と嘘をついていたが、不審に思った児童相談所が警察に連絡したのだ。
ゆりの本当の名前は「じゅり」だった。呼び名を「りん」に変え、髪を短く切る信代。
戻りたいといえば返すつもりだったが、じゅりはりんとして生きる事を選ぶ。
信代は「こうやって自分で選んだほうが強いんじゃない?」と初枝に語りかける。
「何が?」と聞かれた信代は、「キズナよキズナ」と照れながらもうれしそうに答えるのだった。
時は流れ、夏を迎え、治はケガが治っても働かず、信代はリストラされるが、それでも一家には、明るい笑い声が響いていた。
ビルに囲まれて見えない花火大会を音だけ楽しみ、家族全員で電車に乗って海へも出掛けた。
だが、祥太だけが、“家業”に疑問を抱き始めていた。
そんな時、ある事件が起きる…
(HPより抜粋)
万引家族でスイミーが使われた理由は?
劇中で祥太は谷川俊太郎の「スイミー」を読み上げるシーンがあります。
治と万引きをすることが当たり前で、それが生活の中での楽しみだった祥太でしたが、そこに突然現れた百合が加わることで楽しみが削られ次第に苛立ちを募らせます。
祥太はまだ百合を家族として妹として受け入れることができず、家に帰らず駐車場にずっと止められたままの車の中で夜を過ごしていましたが、そこへ治が迎えきて、百合が家族と一緒に何かをすれば一緒に暮らしやすくなることを祥太に理解させます。
納得した祥太は治に「スイミー」の話を知っているか問います。
夜の駐車場で赤いジャケットを着た治の周りを暗い色の服を着た祥太の姿を建物の上からカメラでおさめます。
兄弟がみんな赤いのに対し自分だけ黒い小魚のスイミー。ある日大きなマグロに兄弟みんな食べられてしまいます。
助かったスイミーは様々な放浪を続けるうちに、自分の兄弟そっくりな赤い魚たちに出会います。
一緒に泳ごうと誘いますが、彼らは大きなマグロに怯えながら岩の影に隠れて暮らしていました。
そこでスイミーはみんなで一緒に泳げば怖くない、みんなが赤いのに対し自分だけ黒いので目の役目になり大きな魚のフリができることを提案し、無事にマグロを追い払い海の中を自由泳げるようになる、というお話。
もしかしたら祥太自信もスイミーになりたいと想っていたのではないでしょうか。
毎日表柄幸せそうに暮らして入るけれど、実は何か大きなものに怯えている柴田家。けれどそこに自分が加わることで、何にも恐れず堂々と暮らしていける。
一人一人の力は小さくたってみんなが集まって、血が繋がらなくても深い絆で家族になることができれば必ず幸せに暮らしていける。
スイミーを読んだ祥太はそう想ったのではないでしょうか。
万引家族の評価とネタバレ
「万引き家族」という皮肉のこもった題は、万引き行為を繰り返す父に違和感を抱き始め、そして家族を終焉へ導いた祥太がこの寄せ集めの家族につけた名前なのではないだろうか。
登場する二人の子供は、反抗期の照れと幼さのため、その真意を明確に言葉に表すことはなかった。二人は最期まで治を父と呼ぶことも、信代を母と呼ぶこともない。しかしラストシーンの二人の眼差しは、「万引き家族」が二人にとってまぎれもなく「家族」であったことを、教えてくれる。
本当に胸にくるものがあって、号泣せざるを得なかった
余韻に浸れる映画ってこういうことだよね
感情を言葉で表現できない。
役者演技大戦争という濃厚さだった。
安藤サクラと子役の2人の関係性が、とてもあたたかくて切なかった。
確かに「お兄ちゃんと妹」で、「お母さんと娘」になっていたんだ。
リリー・フランキーは本当に未成熟な大人がうまい。松岡茉優も年齢よりも幼く見える、空っぽの心が池松壮亮と共鳴してた。樹木希林はもちろん樹木希林です。
万引きや車場荒らし、やっていることは決して許されることではないけれど、そこには生活があって、愛情があって、家族があって…何とも言えない気持ちにさせられました。
「拾ったんです。捨てた人は、他にいるんじゃないですか?」この言葉はとても重い。
取り残された感情のやり場に困まりました…
安藤サクラさんの不器用な泣き方がすごく胸に刺さりました。
心に細く長い針を1本深くまで刺された気分。
最後に
この家族は何で繋がっているのか。
愛か?血か?ウソか?それとも金?
一筋縄ではないかない絆にどう思うか考えさせられる作品です。