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成宮寛貴の父親母親・弟の家族構成や生い立ち!過去が壮絶すぎる!?

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成宮寛貴の家族構成、生い立ちや壮絶過ぎる過去にまつわる噂があるのをご存じですか?

その生い立ちや過去はどういうものだったのでしょうか。調べてご紹介していきたいと思います。

成宮寛貴のプロフィール

成宮寛貴(なりみや ひろき)の本名は、「平宮 博重(なりみや ひろしげ)」。過去はこの名前で活動していた時期もある。1982年9月14日生まれの現在35歳で、東京都出身。

身長172cm、血液型A型。母子家庭で育ち、14歳の時に母が他界してから、高校には進学せずにアルバイトで生計を立てる。弟のお弁当を作るなど生活の面倒をみていたが、弟を支えていく方法を考えていた時、俳優のオーディションの話を受ける。

2000年にオーディションを受け、宮本亜門演出の舞台「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」で俳優デビュー。翌年には、映画「溺れる魚」で映画デビュー。2005年には第29回エランドール賞新人賞を受賞。その後も数多くのテレビドラマや映画で活躍。

2012年10月からは人気テレビドラマシリーズ「相棒」の3代目相棒役として出演した後、2016年12月に違法薬物使用疑惑が報じられる。本人は否定かつ、検査の結果は陰性だったものの、周囲の状況に耐えられず芸能界から引退。


成宮寛貴の芸能活動の経緯

成宮寛貴は、2000年に宮本亜門演出の舞台のオーディションを受け、「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」で俳優デビューしました。翌年には、映画「溺れる魚」で映画デビュー。

CMに出演する機会も増え、ドラマ「ごくせん」、「高校教師」など人気作品に次々に出演しました。2005年には第29回エランドール賞新人賞を受賞。

その後も数多くのテレビドラマや映画で活躍を続け、2012年10月からは人気テレビドラマシリーズ「相棒」の3代目相棒役として出演していました。

成宮寛貴の家族構成

成宮寛貴の両親は、成宮寛貴が幼い頃に離婚しており、母親と一緒に暮らしていたそうです。

成宮寛貴が14歳の時に母が他界し、その後は祖母と兄弟で暮らしていたようです。当時の家族構成としては、祖母と弟の3人暮らしだったのかもしれません。

成宮寛貴の壮絶すぎる生い立ちとは?

幼い頃に両親が離婚し、一緒に暮らしていた母まで他界する状況だけでも立ち直るのが難しそうです。そんな状況の中、家庭は経済的に厳しかったようで、自身は高校に進学せずアルバイトで生計を立てながら弟をサポートしていたそうです。

新宿二丁目で働いていたこともあり、弟の大学・大学院の学費まで出していたそうです。自分のことを犠牲にして、弟のことを最後の最後までサポートしていたなんて本当に素晴らしいと思います。


成宮寛貴の性格

突然の発生したスキャンダルによって、芸能界を引退することになった元人気俳優の成宮寛貴。成宮寛貴の性格はどのような感じだったのでしょうか。

成宮寛貴は人気テレビドラマシリーズ「相棒」の相棒役として出演していましたが、この期間は2年という約束だったそうです。しかしながら、成宮寛貴の性格の良い点や俳優としての才能が評価されて、1年間出演が延長されたという情報があるそうです。

そもそも、自分は高校に行かず、弟の為にアルバイトしながら生計を立てていたなんて、簡単にできるものではありませんね。

成宮寛貴が弟に学歴をつけさせたかったのは、自分に学歴がなく、仕事を探す上でも苦労をしたからだったようです。弟想いの優しいお兄ちゃんなんですね。

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